認知のずれは本来は問題解決の機会だけど・・

わたしたちが意識しない、「認知のずれ」の事例を書いていきましょう。

やや抽象的になりますが、以下のことがあげられます。

「指す対象が異なる」
「全員の無知」
「想像力の欠如」
「自分の思い込み」
「常識や習慣での思い込み」
「使うことばが指す意味の行き違い」
「相手が理解できるだけの説明力の欠如」

などのことから起こっているとしたらどうでしょうか?

本来ならこうした認識のずれは当事者にとっても「ずれを修正する機会」だと思うのです。

ところが、聞こえる人が聴覚障害や難聴について知らないことを当事者が「わたしたちは社会から抑圧されている」「差別だ!」と攻撃的に責められたら、その聞こえる人はどうなるでしょう?

恐怖感を抱きますよね。

同時に聞こえる人が「聴覚障害者は訓練したら健常者並になれるはず」
また、規定で耳が聞こえる人だけだからと、杓子定規で「ダメ」「責任がもてない」

と決めつけてきたらどうなるでしょう?

聞こえない人は反感をもち、不信感を抱きますよね。

お互いの信頼関係ができないし、問題解決になりません。
じゃあ、コミュニケーションをとればいい・・・と思うのが普通ですが、そうもいかない面があります。

わたしが行っている難聴メンタルコーチでも「どうしたら解決できるでしょうか」と、多いのが、難聴・聴覚障害者はどうしてもコミュニケーション力が弱くなるという点です。

解決する前に実際に話をしてみると、100人いれば100人異なり、それぞれの人が置かれている状況を把握するのに時間がかかるのです。それだけに責任も重くなります。

聞こえない事がどういう感覚なのか、認知しづらく、客観的にわかるよう伝えることができない人も多くいます。実際、「聴力100デシベルです」「身体障害2級です」と言われても、経験しなかったら、わからないですよね。

他人は自分ほど自分に詳しくないのです。

これに加えて、聞こえないことから来る主体性や自己肯定感の低下を含めた、精神的な不安、強い緊張感などから来る「こころの問題」の1つとして、思考の幅が「ゼロか1か」といった具合に狭くなりやすい問題も多く見られます。わたしもそうなりやすいので注意しています。

専門用語で書くと認知不協和といいますが、簡単に書くと「認知のずれが大きくなりすぎて他人とコミュニケーションがとれない、不協和状態に陥りやすい」でしょうか。

そのことを痛感した経験があります。
次回で書きましょう。

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    難聴・聴覚障害のコミュニケーションと心理状態について、日本でも数少ない当事者の専門家。専門家でも難しい「難聴である自身の自己肯定感の低さ」などメンタル問題を頑張らないで解決できる技法をコーチしています。日本各地からセッションを受けに来る方も多数。手話も学習中。

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