本当?社会から抑圧されているの?

障害者団体が「わたしたちは社会から抑圧されている」という話を持ち出すことがあります。

わたしも役員をつとめていた難聴者団体の例会や総会などの会合でそういう主張をする人に遭遇したことがありました。

わたしはその都度、「またか」とげんなりしていました。

役員達が「差別」と言わず、「抑圧」と言い換えるようにしている時もありましたが、同じ意味で使っていたのは明らかです。

これについて考えてみましょう。

「社会全ての人達が身体障害者を差別したり、抑圧してきたのでしょうか?」

本当に難聴・聴覚障害者が社会から抑圧されているなら、日本初の聾学校が聞こえる人によって始められ、皇室からの御下賜金や市民の寄付で建てられ、賄われたことをどう考えるのでしょうか。

本当に昔から、社会が身体障害者を抑圧していたら、身体障害者は生きていけないはずです。

確かに昔は理不尽なことも多くありました。
でも、「無知」「どうしたらいいかわからない」から来る失敗や悲しい事はあっても、本当に抑圧してくる人は少ないのではないでしょうか。

ここでは難聴・聴覚障害者を対象にします。

先に少し書いた、我が国の聾教育は明治7年に京都市で古河太四郎先生によって日本最初の聾教育を開始し、明治11年に聾学校(当時は盲学校と合同)を創立されています。

最初は当時の尋常小学校の一教室を借りて私立の形で始められています。しかも大正14(1925)年まで人件費以外は皇室の御下賜金、府市民からの寄附金によって賄われていたのです。

現在も天皇陛下の行幸啓の当地の市町村役場で天皇・皇后が非公式にお会いになるご会釈は福祉関係者や身体障害者の方々を優先されています。

私が住む京都府長岡京市でもそうでした。

小田豊前市長の時に来られた天皇陛下が複数の団体の代表にご会釈されていました。

その中でも身体障害者団体ができるだけ優先されるんですね。

議会関係者は後回しになります。

皇后さまも手話で話されていますし、秋篠宮紀子さまは国内の聾学校や聾者のつどいなどを積極的にお訪ねになり、手話で励ましのお言葉をおかけになっています。

残念ながら、一部の人達に聴覚障害・難聴者に偏見を持っている人達がいるのは事実です。

でも、そういう行為は自分の無知さをさらけ出すばかりか、天皇陛下と皇后陛下そして皇室、日本の伝統に対する背信行為ではないでしょうか?

もちろん、話合いは大切ですが、自分の主張を聞いてもらえない、話が気に入らないからといって、いきなり「サベツガー」「ケンポウガー」「ジンケンガー」など、ごねたり、わけのわからない理屈を言いだす人もいます。

それがみっともないことに気づいているのでしょうか。

その人達は自分のわけのわからない怒りを人にぶつけているわけですが、

別の聴覚障害者が話をする時、「どうせ同じ反応だろう」と、聞く耳をもってもらえなかったら、どう責任をとるのでしょう。

言われた人はそういう人と関わりたくないと、職場で採用することを避けるようになってもおかしくありません。私だってそうするでしょう。

そんな状態でコミュニケーション不全で反感を買い、それが積み重なっていくと、当事者全体が社会的な信用をなくすことになりかねません。

なぜ、そうなるのか?

難聴メンタルコーチとして書きますと、聴覚障害を持っている方ですと、自分をわかってもらおうと話はするけれど、自分の状況を的確に説明できない人がほとんどです。

お伝えしていますが、どんなに自分のことをわかってもらおうと主張しても、人間は自分のことほど、他人のことには詳しくないものです。

これは個人だけでの解決は時間がかかって、老人になっても解決できない「難聴だから仕方がない」話も珍しくありません。

わたしのコーチをお受けになる方だけに限られますが、自己肯定感の低さなど、メンタル問題に根があるので、努力や頑張りだけでは不可能なので、特別な方法で根気強くメンタル問題を緩和していきます。その上でこの技法のトレーニングをお伝えして行ってもらいますが、大きな効果があります。

この辺りに現在の聴覚障害を取り巻く状況認識に大きな盲点があります。

次回はこのことについて書きます。

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    難聴・聴覚障害のコミュニケーションと心理状態について、日本でも数少ない当事者の専門家。専門家でも難しい「難聴である自身の自己肯定感の低さ」などメンタル問題を頑張らないで解決できる技法をコーチしています。日本各地からセッションを受けに来る方も多数。手話も学習中。

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