手話は昔から続く「ろう文化」か

「ろう文化」で主張している「手話は昔から続くろう文化だ」という主張について書きます。

手話は昔から続いているのは事実ですが、これを「ろう者の独自の文化」とはいえるかは疑問です。

手話を言語としての意思を伝達・表現するための手段として見ると、現在でも語彙などまだ十分とはいえません。

現在でも地域毎にろう者によって表現が異なる手話の形も多く、それを「ろう者の独自の文化」とするのはおかしな話です。

手話が昔から続く文化であるなら、一次資料となる文化としての記録が何らかの形で残っているはずです。

しかし、明治時代以前の記録がほとんどありません。

伝承や風土記などにチラホラでてくる程度です。

聴覚障害教育に関する歴史的にも貴重な資料である「近代盲聾教育の成立と発展―古河太四郎の生涯から」(日本放送出版協会 1997年刊 )の著者、元京都府立聾学校教師の故岡本稲丸先生と生前にお会いしたことがあります。

明治7年に日本最初の聾教育を開始し、明治11年に聾学校(当時は盲学校と合同)を創立した古河太四郎先生本人が生前に記述された一次資料が極めて少ないため、これ以上書きようがないことを、手話を交えながら話してくれました。

明治時代以前の手話に関する資料は伝聞をもとにした、資料はあるけれど、一次資料がまったくないそうです。

明治時代に入り、聾唖教育が始まり、聴覚障害児に日本語の読み書きを教えるために「手勢」(しゅせい 手話の旧い名前)が考案されるまで、本当に簡潔なジェスチャーで、統一的な文法もなく、それも地域や個人毎にバラバラだったと思われます。

当時は話せないがために「啞(おし)」と言われ、聞こえる人とコミュニケーションがとれず社会的にも厳しい状態に置かれていた聾唖者を古河太四郎先生をはじめとする多くの人達が「なんとかしたい」と考え、試行錯誤をしてくれたことは間違いなく史実です。

実際、滋賀県聾学校創立者の西川吉之助先生は耳の聞こえない娘、はま子さんを育てて、ろう教育のために手探りで私財を使い果たし、裕福だった家を傾けてしまっています。

確かに当時の思い込みや無知から来る失敗や誤りもありましたが、それ以上に多くの恩恵を受けています。

そうした歴史を知ると、ただ感謝しかありません。

それに対して「ろう者は社会から抑圧されている」という主張があります。

本当ですか?

「ろう者は社会から差別されてきた」ではないんですか?

どうも、おかしな点があるんですね。

次はその事について書きます。

    The following two tabs change content below.
    難聴・聴覚障害のコミュニケーションと心理状態について、日本でも数少ない当事者の専門家。専門家でも難しい「難聴である自身の自己肯定感の低さ」などメンタル問題を頑張らないで解決できる技法をコーチしています。日本各地からセッションを受けに来る方も多数。手話も学習中。

    コメントは受け付けていません。