聾者は「民族」じゃない

Aさん

聞こえないことをマイナスにとらえる必要は全くありません。でも、やはり、医学的には障害であり、「民族」ではないのではないでしょうか?

聾者は「民族」ではありません。

「ろう文化宣言」が出たアメリカは移民国家ですから、「文化」といっても日本とは歴史と土台が異なります。

そのアメリカをまねて日本にも同じように当てはめようとするのは無理があります。

「ろう文化」は聾者が肩をたたいて知らせるなど、聴くことの代替手段を独自の文化だとしています。

しかし、健聴者でも騒音下や潜水作業など、話が伝わらない、声を出せない状態なら工夫したり、同じ行動をとります。実際に自衛隊でも声を出せないような状態の想定ではハンドサインが使われています。

彼等が聾者が社会的少数者または少数民族、いわゆるマイノリティであるとする根拠は手話を使うからだと次のように言っています。

「ろう者とは,日本手話という,日本語とは異なる言語を話す言語的少数者である」

それなら、私は関西弁の京都弁を使う京都民族だと名乗れることになります。

たしかに手話は日本文化の1つですが、日本語とは異なる言語の根拠はいったい何なのでしょう。地域の文化と同じように「手話を使う日本国民」とするなら話は通るかもしれません。

しかし、「いったー」「あま」など表現の意味が本土の表現と全く異なる琉球方言を日本語として否定する人はいません。同じように日本語と日本の手話(日本手話・中間手話・日本語対応手話)との間には日本文化という共通の基盤があります。

「ろう文化宣言」はこうした共通の基盤を無視して、外国語と同じ独自の言語として、きこえない中での生活の工夫や習慣から来る必然的なものを「言語的少数者」「独自の文化」と主張しています。

さらに「マイノリティ」、「少数派民族」や「多文化共生」といった概念がわかりにくい言葉を持ち出してきました。

これに人権や社会的弱者、少数民族問題と在日外国人問題などの本来なら別の問題と「理不尽な社会」とごちゃ混ぜにして、話をわかりにくいものにしてしまいました。

本当に残念なことです。

しかもマスコミや報道で取り上げられるのはこうした人達ばかりです。

近年はアイヌ族やアイヌ語を比較に持ち出していますが、こじつけあるいはご都合主義でしかありません。

これら障害者団体の中には明らかに日本人とは程遠い思想を持つ人達が入り込んでいること、

難聴者や聴覚障害者の社会的信用を下げていることが耳に入ってきます。

    The following two tabs change content below.
    難聴・聴覚障害のコミュニケーションと心理状態について、日本でも数少ない当事者の専門家。専門家でも難しい「難聴である自身の自己肯定感の低さ」などメンタル問題を頑張らないで解決できる技法をコーチしています。日本各地からセッションを受けに来る方も多数。手話も学習中。

    コメントは受け付けていません。