防災訓練に手話通訳、要約筆記の参加が始まる

今回は手話通訳と要約筆記の活用例の話です。

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わたしが住む京都府長岡京市で2015年10月に防災訓練が行われました。
防災訓練が行われるのは市内に10ある小学校の校区毎に持ち回りになっています。

わたしが住んでいる校区とは異なる小学校での開催ですが、防災には市の災害時要配慮者委員会の委員をつとめた経験があるので、見学させていただきました。

今回、初めて知ったのですが、防災訓練に手話通訳と要約筆記が取り入れられていました。

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手話通訳は去年から、要約筆記は今年から取り入れられたそうです。

防災訓練で手話通訳と要約筆記が派遣されるのは前例を聞いたことがないので、国内では先駆的な試みです。

災害時に配慮が必要な身体障害者向けの福祉避難所の設置もそうです。

災害時に福祉避難所を設置するのは配給などの音声情報が聞こえないといった問題から考案されましたが、手話通訳、要約筆記の派遣はどのように対応するかなど、ノウハウは手探りの状態だそうです。

地震などの場合、当事者の方も被災している可能性もあるのでそれも考えないといけないですね。

防災訓練でも手話通訳と要約筆記の派遣が考慮されるのは理解を深めるためにもよい試みだと思います。

ところで、この防災訓練で気になったことがありました。

 

防災訓練に参加が必要な難聴者が来ていない!

この防災訓練は災害時のシミュレーションも検討しています。

今回は手話通訳が主に市役所に所属する手話通訳者2名、ろう者が4名、防災訓練の避難所設営訓練に参加していました。

今回は一般市民の手話通訳奉仕者は参加していたかは知りませんが、要約筆記奉仕者の方3名が参加されていました。一般市民です。

ところが、要約筆記が必要な難聴者が来ていなかったのです。

要約筆記奉仕者の方が校庭で知り合いと話をしていた私を見つけて、頼まれて、私が災害時要配慮者という形で途中から参加することになりました。

といってももう終了前だったので挨拶を要約する程度でしたが、それでも本当によかったと喜ばれました。

要約筆記の方曰く、もし、補聴器利用者や難聴者が誰も来なかったら、翌年の防災訓練で「要約筆記の派遣はいらない」と削減される可能性もあったそうです。

この話を聞いて考えてしまいました。

わたしは現在は難聴者協会とは無関係ですが、難聴者協会は会長が日頃から「社会の難聴者の理解を求める」とうるさく主張している割りにこの態度は何なのか?

市内には難聴者協会があり、防災訓練の連絡がいっているはずです。

わたしが難聴者協会・身体障害者団体の理事だった頃も、市の委員会や防災訓練への参加の話はほとんどなかったのです。

その理由をたずねると「情報保障がないから」でした。

情報保障を用意してもらえたのに当事者が訓練に非協力的では元も子もありません。

難聴者協会は現在は活動を公表していないのでわかりませんが、これでは聴覚障害・難聴者の理解や社会的地位の向上どころか、「存在しないもの」とされてしまいかねません。

さらにこの防災訓練の後、手話サークルで防災に関する話が出てきたのですが、驚いたのがろう者当事者が地域の防災事情を全く知らないことでした。

私が把握している情報と異なる点が多く、最新の情報でなかったりします。

日頃から地域や議員の皆さんと話をしていますか?と質問すると、全くしていないとの返事が返ってきました。

~してもらうことが前提の受け身になっており、これでは手話言語法制定以前の問題です。

悪い意味で書けば、「自立できていない」ということになってしまいます。

私は災害・緊急時に情報保障なんてあれば、奇跡だと思います。

2011年3月の東日本大震災や2015年9月10日に起こった栃木県の水害などを見てもわかるように、災害時は各自が本当にめいっぱいになります。

しかし、東日本震災でも日頃から地域の人と積極的に関わっていた人は避難所でも助けられたことも聞きました。

非常時、災害時にどう行動するかは考えても、そこに他人の事を考える余裕を持つことはなかなか困難です。

日ごろから地域との積極的な関わりを持っていなければサポートしようがありません。

長岡京市の人口は8万人ですが、市役所の職員は約555人程度です。

この内2万人が被災したらどうなるでしょうか?

地域の住民も災害時に対策要員としての対応も求められるでしょう。

そんな中でサポートしてもらうことが当然なことを前提にするなら、あなたはサポートできるでしょうか。

地域の人と交流がない人がいきなり出てきて、コミュニケーションが手話しかできなかったら、足手まといにされる可能性もあるのです。

あなたはどうすればいいと思いますか?

わたしたち聴覚障害・難聴者は耳は聞こえません。

でも目は見えるし、身体はうごきます。

わたしの経験で書けば、日頃から地域と積極的に関わることだと思います。

音声だけでのコミュニケーションは限界があるということを理解していただく。

行政の委員をつとめる、選挙やお祭りなどイベントのお手伝いをすること、地域のサポートを買って出ることが挙げられます。

しかし、地域のイベントで本当に聴覚障害・難聴者を見たことがないのです。

聴覚障害者がわたししかいない事も多くあります。

よく聴覚障害者の方で「社会に理解がない」「社会に配慮がない」などの話を聞きます。

そうでしょうか?

地域の人がお互いに積極的に関わり、地域に知り合いを多くつくることは防災力を高めることでもあり、とても大切な事です。

難聴・聴覚障害者が関わってこなかったら、「存在しない」ものとされてしまいます。

存在しない人にどう対応すればいいでしょうか?

先の防災訓練の話でも、参加された要約筆記の方が会場に来ていた私を知っていました。

私は市の委員会に出て、献血推進委員もつとめています。

そこで要約筆記の利用をよくお願いしています。

その関係で私を知っている人が多かったこともあります。

現在の自分が社会に感じている事は自分の行動の結果だと思うのです。

とはいっても、聴覚障害があると、コミュニケーションが思うようにできないことから、他人の視線が怖くなるなど精神面での問題もあります。

自己肯定感の低さもあり、単に「頑張れ!」といっても具体的な方法がなければ不可能です。

だからといって、そのままでは何も変わりません。

どうしたらいいかわからない、でもなんとかしたいという方も多いでしょう。

福祉制度の充実を待っていても時間がかかるだけです。

手前味噌ですが、わたしが行っている難聴メンタルコーチでは難聴・聴覚障害のメンタル面やコミュニケーション技法をコーチしています。

そのわたしも最初はメンタル問題の解決やコミュニケーション技法さえもわかりませんでした。

セミナーだけでは限界もあるので、最初は複数のわかる方にコーチをお願いしていました。

マンツーマンで、聞こえる人とのコミュニケーション技法を学ぶなど試行錯誤が続きました。もちろん有料です。

要領の悪い私ですが、何度もくりかえし、受講して、時間とお金はかかりましたが、解決できました。

お金や時間も必要になりますが、ただ受け身になるのではなく、自ら問題解決のために行動を起こし、次元を上げることで初めてわかる事が多いと痛感します。

地域と関われるようになるためにも、学び気づくことに「自己投資」を惜しまなければ、次第に信用が積み重なり、必ず助けになるでしょう。

この話が防災だけでなく地域との関わりを真剣に考える難聴・聴覚障害者の方の気づきになることを願います。

 

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    難聴・聴覚障害のコミュニケーションと心理状態について、日本でも数少ない当事者の専門家。専門家でも難しい「難聴である自身の自己肯定感の低さ」などメンタル問題を頑張らないで解決できる技法をコーチしています。日本各地からセッションを受けに来る方も多数。手話も学習中。

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