「聾者以外は認めない」人たちなのでしょうか?

「ろう文化論」の主張を見て行くと、手話はコミュニケーションの1つの手段でしかないのに、あきらかに目的にすり替わっている面も見られること、前向きな話ならまだしも、「ろう文化」が議論のための議論でしかなくなっている様子も見られると書いたところ、Aさんから質問をいただきました。

Aさん
彼らは私のイメージ通り、「聾者以外は認めない」人たちなのでしょうか?

これは全ての人がそうではないけれど、「正当な手話は日本手話のみ」「日本手話を使う人=ろう者」しか認めない発言をしている人たちがいるのは事実です。

もちろん普通に接してくる方もいます。

しかし、健聴者やわたしのように手話をあまり使いこなせない聴覚障害者に対して、手話が使えないとみるや、敬遠する残念な人もいます。

わたしもかつては強い劣等感を持っていた時もありましたが、その経験で書くと、これは人格の問題というより、健聴者とスムーズに話ができないこと、話が通じないことから、話をするのが怖い、あるいは面倒になりがちという面があります。

かばうわけではないのですが、無理もない面もあります。

わたしが行っている難聴メンタルコーチではコミュニケーションに関わる悩みを抱えた方も対応していますが、例外なく本人が自覚できていないことが大半です。

無意識に劣等感を抱えたり、卑屈になってしまっているなど、屈折している人も多いのが実情です。

このような状態でコミュニケーションに関わる「痛み」で健聴者とコミュニケーションをとることを諦め、「頑張る、努力する」に逃げたり、ろう者のコミュニティだけにこもってしまう人もいます。

解決できないことはありませんが、個人での努力や頑張りだけでは不可能です。

実際、セッションのヒーリングでその人のエネルギーフィールドもしくはオーラフィールドをスキャンすると、よく我慢できたなと思うくらい、「損傷」している方も多いのです。

「PTSD、トラウマ」といった専門用語だと難しくなるので、「こころにとげがグサグサ刺さっている状態」とわかりやすく説明しています。

当人としてはとげがささっているわけで、もうこれ以上の痛みを感じたくない、だから屈折してしまう人も多いんですね。

セッションでは一番痛いと思われるとげを抜いて緩和していますが、セッション後に晴れやかな顔になる方がほとんどですが、感情の問題から起こる問題が、「人格の問題」とされてしまう面もあります。

彼等の主張に多い、

「日本手話を使うのが当たり前」
「日本手話がろう者のただひとつの言語」
「日本語対応手話は認めない」

全部の人がそうではありませんが、残念なことに中途失調者や難聴者が使う日本語対応手話を「邪道だ、日本手話に対する侮辱だ!サベツだ!」「人権侵害だ!」と言う人もいます。

そういう人が他の身体障害者を差別していた話もあり、どういうことなのか?と思いますが、自分の難聴・聴覚障害をどこまで受け入れているか、自己肯定感も大きいと思います。

とはいえ、コミュニケーションの本質をよく理解せず、日本手話を使う者が正しい、そして聴覚障害者、ろう者は全員が日本手話を使いたがっているような話を見ますが、勝手に決めないでいただきたいと思います。

実際には手話を使いたくない人もいます。

本当の原因は別の所にあるのに、その意見に正当性があるように主張する人たちがいるのは本当に残念です。

今日の問題の遠因になっている事もあるので、それについて次から書いてみましょう。

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    難聴・聴覚障害のコミュニケーションと心理状態について、日本でも数少ない当事者の専門家。専門家でも難しい「難聴である自身の自己肯定感の低さ」などメンタル問題を頑張らないで解決できる技法をコーチしています。日本各地からセッションを受けに来る方も多数。手話も学習中。

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